上野天神祭とはAbout Ueno Tenjin Festival
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上野天神祭は、伊賀市の上野天神宮(菅原神社)で行われる秋祭り。
江戸時代から400年余り続く伝統的な行事です。
本祭の「神幸祭」では、天満宮神輿と九社宮神輿の供奉行列として、
鬼行列と楼車(だんじり)の行列が続きます。
鬼行列は三之町筋の町々から、楼車は本町筋・二之町筋の町々から出されます。
これらの行事は2002年に国重要無形民俗文化財に、
2016年にはユネスコ無形文化遺産に登録されました。
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歴史
上野天神祭は1660年に再興され、藤堂藩の許可のもとで行われました。再興後、行列は城内へ巡行し、藩主も見物したそうです。
三筋町の町々は趣向を凝らした出し物を競い合い、町人の街として栄えました。
1688年の祭礼では、「石引」や牡丹・梅・菊の「作り花」の行列が記録されています(『統集懐録』)
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鬼行列のなりたち
天神祭礼に登場する三鬼会の「役行者列」は、比較的古くから存在します。1690年の記録に「増長天」などが言及されており、これは「役行者列」の一部とされています。この行列は役行者の大峰山への峰入りを模しており、悪鬼や役行者などが続きます。一方、徳居町の「鎮西八郎為朝列」は、1798年頃に登場し、源為朝の鬼退治後の凱旋を模したものです。
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だんじり行事のなりたち
だんじり行列の起源は江戸時代に遡ります。1731年、中町では天神祭礼で鷹匠の練物から母衣武者の練物に変更されました。1751年、小玉町では七福神の練物が登場しました。楼車はこれらの練物の後に現れ、「台尻」「檀尻」とも表記され、18世紀後半には「山鉾」とも呼ばれました。1756年の向島町の「花鉾」や1759年の中町の「其神山」が楼車の原型とされています。